ゲーム論
2000/12/3update

 人生はゲームである。

 とまではいかないが、ゲームというものは全てに通じるところは確かにあると思う。証券取引だって一種のゲームだと言ってしまえないことも無い。麻雀に興じる後輩を愁い「この仕事は、お上公認のどでかいギャンブルだろうに」と言った証券マンがいたというのはなんかの読み物であったと思う。もちろん、テレビゲームだって立派なゲームだし、将棋や囲碁だってゲームだ。スポーツの試合だってもちろんゲームだ(剣道など日本の武道とスポーツは違うと思うのだがそれはまた別の話)。このように、幅広い意味でとらえたゲームというものについて考察してみたいと思う。「コンピューターゲーム=ゲーム」ではないということで。

 さて、個人的な考えになるのだが、ゲームというものを分類する時に、x軸とy軸で分布図として表そうとすることが出来ると思う。それぞれ、「修練型」<>「達成型」と「対戦型」<>「独り型」である。修練型の最も代表的なものはスポーツであろう。達成したらそれで終わりでなく、まさしく人間の限界を求めて、果てしない修練の道を歩むわけである。よって、段々とうまくなっていき、それが楽しいわけだ。そして、スポーツの種類によって、対戦型であるか独りであるかの分類がなされていくと思う。一方、達成型の代表的なものとしてはコンピューターRPGやパズルなどが挙げられるだろう。RPGは繰り返し遊べるとは言っても、コンピューターゲームだけに限界は見えている。パズルもそれを解き明かしたら当然終わりである。つまり、達成した時点で次の目標が完全に消えてしまう形である。言い換えると、この「修練型」<>「達成型」というのは「繰り返し遊べる型」<>「消費したら終わり型」みたいになるかもしれない。
 「対戦型」<>「独り型」という分類は単純である。文字の通りであるから。コンピューターの対戦ゲームなどは丁度中間点に位置するかもしれない。
 なんで、こんなことを書いたかというと、世間一般ではゲームというと「達成型」と「独り型」にかなり偏ったものしかゲームだと思われていないのではないかと思ったからだったりする。ほんとに楽しいゲームってそうではないと思う。少なくとも独りでやっていて楽しいゲームというものは、修練型に寄っていなくては上達の楽しみというものが味わえないのでダメだと思うし、やはり勝利するというそれで終わりではない達成点が無数に用意されている対戦型のゲームというのはやはり楽しい。つーわけで、楽しいんだけど、今のコンピューターゲームって上達する楽しみってのが凄く少なくなっている気がするんだよねぇ。例えば、某国産大型RPGとかやっていて、「俺の腕も上達したなぁ」なんて思う時がある?最も、ロールプレイを楽しむという観点でいえば自分自身の腕ってものは上達しなくても良いのかもしれないが、ロールプレイというものの究極系が役者だと考えたら上達したっていいんじゃない?なんて思うのだ。ゲームの中のキャラクターがレベルアップしたといっても、単純作業の繰り返し(敵を倒して経験値稼ぎとかひたすら魔法を吸い出すみたいな)みたいな結果じゃねぇというわけ。
 対戦型のゲーム人気が上がっている(と個人的には思う)というのも(コンピューターゲームも、ボードゲームもカードゲームなどいろいろ)そこらへんに原因があるのではないかなぁなんて思うわけです。
 というわけで、ゲームってほんとに面白いよねって結論。

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